夫につられて私がももクロファンになったわけ

モノノフ夫との出会いとももクロのファンとしての生活記録

「俺は、夏菜子だった」〜有安杏果卒業から夫が再生するまで〜

2018年1月。有安杏果ももクロ電撃卒業は、平和な新婚家庭だった我が家に衝撃と混乱と、お祭り厳禁的な自重ムードをもたらした。

卒業が発表された日、ツイッターのトレンドでそのニュースを知ったわたしは驚いた勢いのまま夫に「ちょっと杏果卒業するの?!びっくりなんだけどなんで突然?結婚?」

とミーハーな感想をLINEで送りつけたところ、その軽いノリが癇に障ったらしく、「今情報集めてるから黙ってて」と一喝された。

卒業は現実で、急な発表だったにしてはその理由は納得のできないものだった。普通の女の子になりたい、と。そして発表から約一週間後という唐突なタイミングで卒業ライブを行うことが後に発表された。

夫とわたしは何はともあれ彼女のラストライブに申し込んだが、倍率はかなり高く、抽選に外れた。ライブ当日はわたしたちが新居に引っ越す日だったのでわたしとしてはそれはそれで都合がよく、ライブの様子を一緒に自宅から生配信の動画でも見ればよかろうと思っていたのだが、夫はよほど行きたかったらしく、つてを辿ってどうにかチケットを入手した、、1枚だけ!!

新居で過ごす1日目に部屋に置き去りにされたわたしはやけ酒をあおりながらライブの生配信を1人で見た。なお、この件に関してわたしはまだ夫を許していない。

彼女の卒業からその後現在に至るまでには非常に突拍子もない展開もあり、いろいろ思うところがあるのだが、その点は今回は省く。10年近く5人のももクロを推していた夫が、唐突にメンバーの1人を失った悲しみとモヤモヤ感から完全復活した件について書きたい。

 

有安さんの卒業は、ファンだけでなくももクロメンバーも大いに打ちひしがれていたように思う。半年後に10周年という記念の時を控え、盛大に祝い、温かく歓迎されるはずだった。それに水を差されるようなかたちとなったのだが、残されたメンバーはそのことに関して、有安本人を責めることも泣き言を言うこともなく、笑顔で送り出すことに徹した。

ところが、卒業ライブで有安さん本人は一滴の涙も流さなかった。歌もダンスもいつもどおりキレがあり、完璧なものだったけれど、8年間過ごしたグループを卒業するというのにはあまりにもあっさりしていたのだ。他のメンバーは泣きながらこれまでの思い出語り感謝と激励を贈っているのに、その言葉で感動しているのはファンだけで、本人には響いていないように感じた。

リーダーの百田夏菜子は「あまりにも直接的すぎて言えなかったけど、本当は5人で10周年を迎えたかったよ」と、恨み言にならないように、でもあなたがいなくなることが本当に悲しいと精一杯伝えるように振り絞った言葉すらも、胸に届いた様子はなかった。

かわりに彼女から出た言葉は「ももクロは奇跡の5人と言われるけれどわたしはそう思ったことはない。わたし以外の4人とモノノフ(ファン)で5人のももクロだったと思う」という衝撃のものだった。

ももクロ時代の否定とも取られかねない言葉。

何かファンにはわからない裏事情があったのかもしれないがそれにしてもあんまりな捨て台詞だ。なぜそれを言ったのか、いったいどんな意味なのか、究極的にはわからないが、最後の日の言葉にしてはだいぶ後味が悪く、しこりが残る。

そんなわけで、突然の卒業ということだけでもなかなか消化できないだろうに、立つ鳥跡を濁…す的な卒業で、夫曰くライブ後の飲みは「お通夜みたいだった」とのことだった。

それから夫は未練たらたらの失恋のごとく、有安さんが新たに発信しはじめたインスタやツイッターを何か文句を言いながらも追いかけ続けた。

一方ももクロ陣営側は10周年に向けて淡々と勢力的に活動した。5人から4人になったことで、これまでの楽曲のパート割りやダンスのフォーメーションが変わるのは必須だ。体に染み付いているであろう歌やダンスを変えるのはどれだけ大変なのだろう。

そんなこんなで2018年5月に10周年記念ライブ「ももいろクローバーZ 10th Anniversary The Diamond Four -in 桃響導夢-」を迎えた。

わたしはその時、今回の10周年という記念のライブが、どうか失敗しませんように、ももクロの4人の歌にがっかりしませんように、と願っていた。その前の2月のバレンタインライブ、4人になって最初のライブでは、どうしても"有安の不在"を実感してしまうものだったし、4月の恒例野外ライブ「春の一大事」では、席がかなり遠かったことと、野外の音響システムがあまりよくなかったことで、歌がほとんど聞こえなかったのだ。だから今回のライブも不安だった。ファン歴2年そこそこのわたしの心より、ずっと応援してきた夫を含めたモノノフたちが、追ってきてよかったと思えるものになってほしい、ももクロの4人が10年の集大成と満足できるものになってほしい、でももしかしたら難しいかもしれない。どうか「やっぱり5人がよかった」と思ってしまわないように、と祈った。

 

蓋を開けてみれば、4人のライブは大成功だった。いったいどうやって歌とダンスを覚え直したのだろう。元から4人だったと言っても全くおかしくないものだった。

「ゴリラパンチ」という、有安杏果がメインパートを歌った曲がある。有安さんの太い声と声量があっての曲、有安さんのための曲と言える曲で、彼女以外には歌いこなせないと思っていた。下手に歌ったりしたら、有安さん推しだったファンから大顰蹙を買ってしまうだろう。

しかしその曲も歌った。メインパートの担当は

あーりんこと佐々木彩夏だった。有安さんの力強い声とは正反対にアイドルらしい可愛らしい歌声が特徴のあーりんが歌った新生「ゴリラパンチ」は、ものすごくよかった。前奏なしでいきなり始まる曲なのだが、歌い出した瞬間会場がどよめいた。「うそ!これ歌うの、しかも、あーりん?」という驚き。でもいざ聴いてみたら意外なほどにしっくりきた。全然あり!むしろいい!

有安さんの十八番だったこの曲を歌うことへのプレッシャーは相当だったはずだ。それにあえて挑戦し、自分のものにしたあーりんはすごい。わたしはあーりん推しではなかったけれど、ちょっと涙がでた。きっとファンのために敢えて歌ったんだろうと思った。

「ゴリラパンチ」を筆頭に、どの曲も5人バージョンとは違う良さがあり、たった半年でももクロはまた一皮向けたようだった。

そしてダメ押しとなったのが、ライブの終わりに1人ずつ感想を言っていく場面、百田夏菜子の言葉だった。

「国立の時だったかな?わたしみんなの前で、目の前が暗くなる時があったら、みんなが振るペンライトの明かりを頼りに進んでいくよって言ったんだけど、今回(有安が抜けて)本当に目の前が真っ暗になってしまって…」

それは、有安さんが卒業してから、それまで必死に笑顔を保ち、悲しむファンをさらに悲しませないようにやせ我慢をしてきただろう夏菜子が、初めて吐いた弱音だった。その言葉で、彼女たちがどれだけどん底に落とされてしまったのか、その気持ちを悟られないように明るく振る舞っていたのかがやっとわかり、涙が溢れた。会場全体がすすり泣いているような感じだった。

頑張れというように拍手が声があちこちから湧く中、続けて「でも今回4人でやってみて、4人でまだやりたいことも、できることもあるなって思った」と清々しい笑顔で言ったのだった。

 

夏菜子のその言葉がなかったとしても、4人のライブは素晴らしかった。有安さんが抜けたことで穴があいたような、パフォーマンスに迫力が欠けたような印象も不安定さももはやなく、4人で完璧だった。ライブが成功していた上で、さらに夏菜子が「実は苦しかったんだよ、不安だったんだよ」と本音を吐いて寄り添ったことで、わたしを含めてファンは、夏菜子と同じ気持ちだったんだと悟った。それで心をわしづかみにされたのだ。

そして最後に「お前ら全員ついてこい!」と叫んだ時、本当に本当に「ついていく!」と思ったのはわたしだけじゃなかっただろう。悲しみを吹き飛ばしてももクロが復活した瞬間だった。

夫は横で号泣していた。このまま一生悲しんでるんじゃないかと思っていたので心から安心した。

ライブ後に立ち寄った居酒屋で夫はニコニコと笑いながら「俺は、夏菜子だった」と言った。

何を言ってるんだろう?と思ったが、夏菜子と同じ気持ちで、夏菜子と同じように今日のライブで気持ちを取り戻すことができた、ということだったのだと思う。

ももクロって不仲なんでしょ?

「ねえ、ももクロって仲悪いんでしょ?」

 

うちに遊びに来た友達が本棚のDVDやら写真集やらをみてニヤニヤしながら言った。

DVDも写真集も夫のものだ。子どもが生まれて一年近くライブに行くのを我慢していた夫と共に、久しぶりにももクロのクリスマスライブ「ももクリ」に行くつもりであると言った時だった。

その友だちがそんな意地悪なことを言う気持ちはわかる。ももクロはアイドルだし、いい年して、しかも子どもが生まれてもアイドルファンをやってる男が私の夫であることに対して、何か言いたいのだ。

アイドルの追っかけをやるのは結構だが、結婚して子ども生まれてもそれってどうなの?しかもアイドルなんて幻想だよ?女の子グループなんて裏ではみんなで悪口言って足引っ張りあってるに決まってるよ?と。

わたしもそう思っていた。よく知らないけど。ちゃんとももクロのことを見たことなんてなかったけど。だから、夫の影響でももクロファンになってしまった今、そんなことを言ってのける友達に言い返した。違うよ、仲良いよ。みんなすごくいい子たちだよ。

つっかかり気味に反論したわたしを見て友だちは「どうしたの?旦那の影響受けすぎじゃない?」と興味なさげに言うのだった。

 

なぜ30代後半で、今まで全く興味のなかったいわゆるアイドルグループのももクロを好きになったのか、友だちにももクロの魅力を一言で伝えることがその時できなかったことが悔しかった。

 

わたしはなぜももクロを好きになったんだろう?ももクロの魅力とはなんだろう?

 

きっかけは夫に連れられてライブに行くようになり、DVDを見たことなのだが、自分の意思で好きになった理由をもっと掘り起こした結果、わかったことがある。

まず同じ女として見たとき、ライブなりテレビ番組なりでの彼女たちのやりとりを見ているかぎり、不仲はありえないなと思っている。こればかりは女子の嗅覚としか言えないが、女子グループで仲が良いというのはそれだけで好感が持てる。

次に、あくまでわたしの場合だか、ももクロにハマったのはリーダーでありグループの顔である百田夏菜子の天性の魅力に取り憑かれたからだった。

 

ももクロの赤担当の夏菜子。華やかで可愛らしい顔立ちに、完璧なエクボがトレードマークだ。

今でこそセンターで主要楽曲のメインパートを堂々と歌う彼女だが、アイドルになりたてのころはお世辞にも歌がうまいとは言えなかった。もちろんそんなことはももクロファンになってYouTubeの動画を見あさってからわかったことだが。

だから初期の頃に出た音楽番組ではひどく音痴でおよそ歌手とは思えない歌を晒してた。そのド下手時代を乗り越えてきたことも応援したくなる理由のひとつではあるが、それが真の理由ではない。

現在は堂々と生歌でライブをこなす彼女たちだが、ライブでひときわ人の心を奪う声の持ち主が百田夏菜子だ。

 

「GOUN」という曲がある。

「あなたに会いたいよ」そんなワードで始まるその楽曲は、夏菜子の声なしではありえない。恋愛の曲ではないのに「あなたに会いたい」という言葉が、言葉の意味通りに、意味以上に、ひっしりと伝わってくる。少し濡れたような声で、必要より多めに感情を込めた歌い方。そんなに一曲一曲に感情込めて歌っちゃったら最後までもたないよ、と心配したくなるほどに。とにかく歌を伝えよう、届けようとするエネルギーがすごい。

わたしは初めて「GOUN」を聴いた時のことを、それは車の中だったのだけれど、その時にみた景色を、開けた窓から入ってきた風の匂いを、一生忘れないと思う。あまりに彼女の声が切なく感情的に響いて、その瞬間の何もかもが心に焼き付いてしまったのだ。

ももクロの歌の魅力の半分は夏菜子の声にあると思う。どんなアイドルにもない強みだろう。とりあえずみんな、夏菜子のソロパートを聴いてみてほしい。

 

また、百田夏菜子はスピーチの天才でもある。

2014年、国立競技場で悲願のライブを敢行した百田が発したのは、「私たちは天下をとりにきました。それは、アイドルの天下でも、芸能界の天下でもありません。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下をとりたい」

という言葉だった。

こんなセリフを20才そこそこの女の子が言えるだろうか。アドリブで。

そして2018年、ももクロ結成10周年の記念ライブ「桃響憧夢」においても、またしても伝説の名スピーチをやってのける。数ヶ月前に突如グループを卒業した有安杏果の不在を受け止めきれず、消化しきれなかったファンが少ならからずいたのだが、不安定だったファンの心を「お前ら全員ついてこい」と見事に引き戻した※この話はまた別途

 

天才肌なのだ彼女は。だからライブのたびに、今回はどんなミラクルを起こすだろう?と目を離せなくなる。

 

そんなことを、今度友だちに会ったら伝えてみたいなと思った。

 

ちなみに、こんなに夏菜子のことを熱弁したけど、推しはれにちゃんだったりする。

 

その日のこと

お腹に違和感を感じたのは前日のお昼前。ちょっと血が混ざったおしるしがあるなと思ったけれど、おしるしはすでに1週間前にでていてそこから変化がなかったのであまり気にしなかった。

母と近所の韃靼そばやで天ぷらそばを食べて帰ってきて、ちょっと昼寝をして起きたら、ドロっとしたスライムのようなおりもの?がスプーン一杯ほど出た。調べたら粘液栓というおしるしの一種らしい。子宮の入り口を栓する役割で、子宮が開いてくると出てくるものだとか。これがでるといよいよ陣痛がはじまるのだそうだ。まだお腹は痛くなかったので静観していたものの、トイレに行くたびに今度は鮮血がでて、どんどん増える。そういえば、今朝から胎動がないような、、、。出産が近いと胎動が減るというのはあまりあてにしないほうがいいと聞いていたので急に心配になってきた。

そうしたらお腹も痛くなってきた。病院に電話をすると、すぐきた方がいいとのこと。母を呼んで、そのまま病院に送ってもらった。途中雑談をしながらも、雑談してたら実はお腹の中で何かあって、まさかの事態になっていたらと不安になり、駅まで10分の道が永遠に長く、信号待ちを避けて回り道をしてくれた母に当たり散らしたくなった。

病院についてすぐにNSTで赤ちゃんの心音をチェックしてもらう。お腹にいつものジェルを塗り心音計をつける瞬間、私の心音で赤ちゃんの音が聞こえないんじゃないかと思うくらい緊張した。神さま、、赤ちゃんが元気なら、どんな陣痛にも、耐えます。

心音は、ちゃんと聞こえた。

助産師さんは、赤ちゃんとても元気だともいってくれた。ホッとする。

その時、すでに陣痛が始まっていることに気がつく。まだまだ我慢できるけれど、陣痛の間隔は10分ほどだった。そのままNSTを受けている40分でそこそこ痛くなってきていた。

終わったのが16時頃。念のためエコーと経膣検査した結果問題はなく、子宮口もまだ4cmほどだったので、もう一度家に帰ることになってしまった。会計をしている間もどんどん痛くなって、間隔は7.8分に。看護師さんには、陣痛間隔が5分になるか、破水したらまた電話してと言われたのでそのまま帰ったが、家に着く16時30分頃にはもっと痛くなっていた。

17時まで様子見してみたが、痛みは強く、間隔は5〜7分。我慢できずに病院に再度電話すると、ゆっくり入院の準備をして、シャワーを浴びて来てくださいとのこと。慌てなくて大丈夫と。

ここで東京の旦那さんに連絡を取り、入院すると伝える。初産だからそこから10〜20時間はかかるだろうと言われたけれど、なんとなく、そんなにかからないような気がした。

家を出たのが18時過ぎ。病院について、まずトイレにいって、そのまま分娩室でモニターをつけて陣痛の間隔をチェック。陣痛はやや落ちついたものの、同じ間隔で来ており、痛みは強くなっていた。我慢がギリギリできるかできないか、くらい。横についていて雑談で気を紛らわせてくれようとしている母に、もうあっち行って!と叫ぶ。母はごめんごめん、と言って、旦那さんを案内するべく連絡をとる係になった。

そこからしばらく1人で苦しんでいた。このままお産かと思いきや、助産師さんが戻ってきて「よくあるとなんだけど、病院につくとお腹の張りの間隔が弱くなるみたいで、このままここにいてもまだだから、一旦病室に行きましょう」と分娩台をおろされてしまった。

こんなに痛くて、陣痛間隔も減ってないのに、どういうことだろう。

病室のベッドに案内されたのが20時頃。

旦那さんがくるのは21時頃とのことで、そこから1時間近く1人で陣痛の痛みと戦う。間隔は3分くらいになっているような気がしたが、痛みで陣痛アプリを使うことも辛くてできなかった。旦那さんがやってきたのが21時過ぎ。部屋に入ってきてもベッドから起き上がれなかった。助産師さん曰く、夜中の3時か4時には生まれるかもとのことだったので、陣痛が来ていない間にそんなことを、話す。が、ほかは緊張で何を話していいかわからなかった。

旦那さんは冷静なのか状況を深刻に受け取ってないのか、普段通りに見えた。陣痛がくると手を握ってくれる。1人で耐えるより楽になった。痛いよ、と言える人がそばにいるのはありがたい。手を握るのも痛みを分散するように感じる。どんな体勢になっても痛くて、それでも、首を後ろに仰け反らせてベッド枠を掴むとマシだと気づく。

助産師さんには、破水するか、もっと痛くなるかしたらナースコールしてと言われたが、これ以上の痛みがあるなんて信じられなかった。痛みは生理痛の100倍ほどで、内臓全体を圧縮されて、揺さぶられるようなものだった。

しかも、妊娠後期から悩まされていた胸焼けが酷くて、からい胃酸が喉元に上がってきて気持ちが悪い。吐き気がする。

もう目をつぶってうめき声をあげるしかできない。旦那さんは何も言わず何も聞かずに黙って私が手を握るままにしていたが、途中、母が作ったおにぎりをトイレで静かに食べていた。

夕飯を食べずに来たらしく空腹だったようだ。

すでに陣痛の間隔を図ることは放棄して、今何時なのか時計を見ることもできなかったが、それほど時間が経ったようには感じなかった。

陣痛にいきみたくなる衝動がプラスされるようになった。いきみたいというのは、ほかに何とも表現できない。ただその衝動に任せていきんでしまうと今はダメだと本能が警告する。中が破裂してしまいそうだった。いきみを堪えると体が痙攣し、ガクガク震える。

そこから何度かいきみを耐えたが、我慢できそうもなくなったのでナースコールをしたところ、やっと分娩台に載せてもらえた。

もう一度お腹にモニターをつけて、助産師さんが手で子宮口の開きを確認すると、6cmになっていた。

22時過ぎ、いよいよお産だ。

足に変なカバーをつけられ、広げられて左右に縛られた。お腹にはタオルをかけられ、私が吐いてもいいように口元にゲロ袋が置かれる。

旦那さんは初めは頭の横で手を握っていたが、子宮口がさらに開き、本格的にいきんで赤ちゃんが下に下がってくるにつれて、いきんではいけない時にいきまないように私の股間をグーで抑える係になった。これが、助産師さんは上手だが、旦那が下手で、助産師さん早く戻ってきてと祈った。

だいぶ赤ちゃんが下がってきていて、お産はかなり順調と言われた。日付が変わるか変わらないかの頃に生まれそうと話していた。今は一体何時なんだろう。当初より予定がだいぶ早まったことは確かだ。

さらにお産が進み、本気でいきんでオッケーとなってから、本気を出せば一発で出るんじゃないかと思ったが、ここからが長かった。腹筋に力を入れて一生懸命いきんでも、感覚としてなかなかそこより下にいかない。

酸素マスクが投入されて、旦那さんは私のお腹の張りのタイミングでマスクを口にあてる係になった。

もうこれで生まれるかな、あと何回いきめばいいのかな、、と何度も思った。

一回休憩したい、一回だけ力を抜いて休みたい、と思っても休ませてもらえない。口で、はっはっはっと短い呼吸をすると、鼻ですって口でゆっくり吐くように指示される。苦しいのに。それでも、叫んだり暴言吐いたりせず、そんな余裕もなく、言われることに素直に従うのが近道だと思ったので、辛くても従った。

そのうちに、いきみと同時にバシャッと暖かい水が流れて破水したのがわかった。

助産師さんは、今子宮全開になったと教えてくれた。奥にうずらのたまごくらいの大きさで赤ちゃん見えてるよと。それがあとどのくらいを指すものなのかわからなかった。

お医者さんが入ってきたので、もうすぐだとわかった。さらにいきむ。でも最後の最後でなかなかすすまない。

吐く息を長く、いきむ時はおへそを見て、目を開けて、と指示が増える。必死でそれに従い、何回かした時に、会陰切開をちょっとだけすると言われ、麻酔を打たれた。ちくりとしたがそれだけだった。いきんだ瞬間にハサミでパチンと、音を立てて切られたのがわかった。

次頑張ったら出てくるよ、と夢のような一言がかけられて、力を振り絞った。するとグッと、赤ちゃんが下がる感覚があった。

そして、はい、じゃあ力抜いて、いきまないでいいよ、と言われると、中からズルズルと引きずり出される感覚があり、

生まれましたー!と、目の前に赤ん坊があらわれた。

あああ、生まれたんだ。

赤ん坊は全身が青かった。

すぐに処置台に連れていかれ、しばらくするとギャァと、泣き出した。

泣いた。

 

私は旦那さんを見上げた。それまでほとんど何も発せず、「おへそみて」などの助産師さんの助言を私に耳元でリマインドする以外黙っていた旦那さんは、目を合わせると弱々しく笑った。落ち着いていた。私も安心して、手を握った。

しばらくすると私の横に赤ちゃんが来た。泣き止んでいて、体も綺麗になってバスタオルに包まれていた。大人しい。目を細く開けている。

この子が、私から生まれたんだ。

生まれた瞬間は真っ青で潰れた顔をしていると思ったけれど、横に泣かされた顔を見ると。すでにパッチリ二重で髪も目も黒々としたはっきりした美男子だとわかった。

大きな目の旦那さんに似てくれたことがわかって嬉しかった。

それから2時間ほど、そのままなんやかんや処置され、赤ちゃんは旦那さんが抱いていた。

写真もたくさん撮っていいと言われ、持ってきたカメラでパシャパシャ撮った。

それから病室に移動し、歩ける自分が不思議だった。大量の出血があり、クラクラする。紙おむつのようなナプキンを二枚重ねて、その日は寝て良いと言われたが、2時間以内におしっこがでないとカテーテルといわれ、あせる。

旦那さんはさらにお腹が空いたようで、コンビニでカツ丼を買ってきて食べていた。

私は2リットル近く水を飲み、おにぎりを一個食べた。

それからトイレにこもりおしっこをしようとしたがなぜか感覚がわからなくなっていて、2時間ほどこもっていた。それでも出なくて、諦めてベッドで一度仮眠し、朝6時に起き上がってトイレによろめきながら行って、チャレンジしたところ、出た。

 

そこからやっと安心して眠った。

長い一日だと思っけれど、入院から出産まで5時間ちょっとのスピード出産だといわれた。

7月10日0時37分、3172gの男の子を出産した。

妊娠28週目の突然の痒み、妊娠性痒疹との戰い

4月の終わり、すでに有休合わせて取った産休に入ってまもなく、妊娠後期に突然全身が痒くなる疾患にかかりました。一時はあまりの痒さに夜も眠れなかったのですが、妊娠36週に入った現在ではかなり改善したので、記録のために改善するまでの経緯を書いてみようと思う。

 

・初期(妊娠28週 首のみ)

突然、首が痒くなる。虫刺されか、ちょっと普段と違う試供品の化粧水が合わなかったのかと思い、よく洗っていつもの化粧水をつけ直して就寝。しかし、夜中もずっと痒みがつづきあまりよく眠れなかった。翌朝になって鏡をみると、首の赤みが広がっていた。

運の悪い事にその日から10日間のゴールデンウィークで、医療機関は軒並み休み。それでもその時はまだそこまで深刻に考えておらず、治らなかったら病院に念のために行こう、くらいに思っていた。

ところが痒みは徐々に悪化していく。

・中期(妊娠29週 首、腹、乳房)

首だけだった痒みは気がつけば耳の裏や腹、乳房に広がっていた。流石におかしいと思い、ネットで調べると、妊娠後期に突然全身が痒くなる原因不明の疾患に悩む人がかなりいることがわかった。特に夜になると痒みが増す傾向があり、眠れない。どのような痒みかというと、皮膚に何かチクチクする、例えば犬の毛のようなものがまとわりついていて、拭っても拭っても取れない感じだ。

調べた結果、皮膚科でぬり薬を処方して貰うのが良さそうであるほか、クチコミやAmazonのレビューを参考にしたところ、

アルテニーニ ローションというヨモギを使った化粧水が有効そうだということがわかった。また、瞬発的に効き目があるのはウナコーワクール とのこと。

ゴールデンウィーク明けまではこのヨモギローションとウナクールに頼るしかなさそうだ。ヨモギローションは全身用の化粧水で、ヨモギエキス、ビワ葉エキス配合。痒い部分につけるとハッカのようにスーッとした清涼感があり、気持ちがいい。確かに痒みが引いていく感じがする。特に風呂上がりにつけると効果的だった。だがそれもつけてからしばらくすると効き目が薄れていく。眠る頃にはまたあのチクチクとした痒みに襲われる。そんな時はウナクールを塗って誤魔化し、どうしても治らない場合は夜中に再度シャワーを浴びてヨモギローションを塗っていた。

他の人のブログやクチコミによると、患部が赤くただれて痒くてもかけず、気が狂いそう・・・という例もあったが、私の場合は痒みのある箇所も見た目は特に変化なく、最初に首が赤くなったくらいだった。見た目は変化ないが痒い、状態だ。

待ちに待ったゴールデンウィーク明けになり、早速近所の皮膚科に予約を入れて行った。医者に事情を話すと「たまにそういう症状ありますね。出産すれば治りますよ」とのんびりした見解を聞かされる。

出産、、、したら?

いや待て、予定日まであと何日、いや何週間あると思っているのだ!残り5週間、1ヶ月以上もこのまま眠れないくらい痒い日々を過ごせというのか…。

とにかく痒くて眠れないと半泣きで訴えたところ、痒みがひどい時につけるぬり薬と寝る前に飲む飲み薬を処方してくれた。

ぬり薬は「フエナゾール軟膏」と「マイザー軟膏」をあわせたもので抗炎症剤、飲み薬は「ポララミン」で抗ヒスタミン作用を有するアレルギーを抑える薬だった。ポララミンは眠気を引きおこす副作用があるとのこと。眠れない身としてはむしろありがたい。

一筋の希望の光が見えた気持ちで帰宅し、その夜からぬり薬と飲み薬を試した。

結果、、、相変らず夜間の痒みは治らず。

薬が効くまでに数日かかる可能性も考え何日か我慢してみたものの、2週間分と聞いていた塗り薬は3、4日でなくなった。痒みの箇所はさらに広がり、背中、尻、腕全体、脛と、代わる代わる痒くなる状態に。この頃は妊娠30〜31週頃で、出産しないと治らないという事実に絶望していた。

・後期(妊娠31週 顔、頭以外の全身)

ぬり薬がなくなり、症状も全く改善しないため再度同じ病院に行ったところ、「なんでよくならないんでしょうね」と医者も首をかしげる。ネットで調べていたので「妊娠性痒疹ですか?」と聞くと「多分そうですね」と曖昧な答え。

ぬり薬を「アンテベート軟膏」と「アズノール軟膏」(同じ功能でやや強いらしい)に変えて、飲み薬のポララミンは1日最大で6錠まで飲んでいいと多めに処方してくれた。ポララミンは妊婦でもokらしい。

今度こそ…という前向きな気持ちと、どうせまた効かないという諦めの気持ちが合わさった状態で迎えたその日の夜。ぬり薬は前回よりはマシ程度に効き目があるか、、飲み薬は夕飯後と寝る前に1錠ずつ飲んでみたところ、1時間か2時間は続けて眠れるようになった。

が、相変わらず、即効性はなく、シャワーとヨモギローション、駄目押しのウナクールに頼りまくっていた。この頃は朝、昼間、夕方、夜、明け方と1日5回シャワーを浴びていた。そして、完全に昼夜逆転した生活(なぜか、夜が明けて明るくなってからの方がよく眠れた)が通常になっており、このまま騙し騙し出産を迎えるしかないのかも、と腹をくくった。

同時に、他にいい薬や食べ物はないかとネットで情報を集めていたところ、同じ目黒にある陳皮膚科が妊娠性痒疹に親身になってくれるというクチコミを発見。たまたま近所だったので半信半疑と藁にもすがる気持ちで予約。先生は中国人で、症状と今までの経緯を話したところ、「今の薬じゃ治りませんよ」と一刀両断。また、下着も綿に変えろと、グンゼのダサめの下着を紹介された。

ぬり薬は「カチリ デルモベート軟膏」という、真っ白でかなりニオイのきついものを処方された。どのようなニオイかというと、歯医者さんのような強い薬品のニオイだ。

デルモベート…なんとなく、ハリーポッターの「名前を呼んではいけないあの人」みたいなネーミングで強そうで気に入った。

なお、先生によると、この薬は塗ったあと乾くとポロポロと落ちてきて衣服や床につくのが難点とのこと。いや、それよりこのニオイの方が…と思ったが、痒みさえなくなるならそんなものは取るに足らない。チャラだ。

飲み薬は、引き続きポララミンのほか、同じくアレルギーを抑える「ジルテック錠」2週間分と、「セレスタミン」を出してくれた。セレスタミンはどうしても我慢できないほど痒い時用だ。

 

結果的に、これらの薬に助けられた。

具体的にどれが効果的な薬だったのかは判断できないが、おそらく「カチリ」だろう。

塗ったその日から多少かゆみがましになり、ポララミンとジルテック錠で眠れるようにもなり、昼夜逆転生活も徐々に治ってきた。

・改善(妊娠34〜35週)

カチリは2週間分もらっていたが、痒みが広がることを恐れてあまり痒くない部分も含めて全身に塗っていたら、1週間でなくなった。ちなみに、たっぷりつけると乾いてポロポロと落ちて汚らしい。皮膚をかくと爪にカチリがぎっしり詰まって手が臭い。自分から薬品の匂いを撒き散らしている気分だ。

足りなくなったカチリを再度処方してもらったが、痒みがだいぶ良くなってきていたので、今度はなくならないように慎重に薄く延ばして使うようにした。すると、効き目に変わりはなく、ポロポロ落ちてくることもなくなったので一石二鳥だった。

ただ、カチリを使い続けると皮膚自体が乾燥してカサカサになってくる。そのため、ヨモギローションの上に自前の無添加ボディクリームを塗り、その上にカチリを塗るといい感じだった。

この方法で確立し、1週間、2週間と経過した今、36週目。ほとんど痒みを感じなくなった。念のため風呂上りのヨモギローションとカチリを極薄く、ポララミン1錠だけは継続している。

結局出産前に治ったのだ。

それが、ヨモギローションが徐々にきいたのか、カチリやポララミンの効果なのかはわからない。ジルテックは飲まなくなり、ここぞという時用のセレスタミンも1度か2度しか飲まなかった。

最初からカチリを試していたらどうだったのか、、、わからないが、同じく辛い思いをしている人には参考にしてほしい。

 

 

 

 

 

 

外での呼び方問題

旦那さんが私のいないところで私のことをなんて呼んでるか気になっていたのだけど、先日謎が解明。

旦那さんは「嫁」派だった。

「嫁」ってなんか、呼び捨て感がすごいし、何より関西の芸人かよ!って感じであまり好きじゃない。相方もしかり。

じゃあ、なにがいいのか。

たぶん、正しくは「妻」なんでしょうが、普段友達の前で呼ぶにはかしこまりすぎだし、若干「新婚さんいらっしゃい」感もある。

この呼び方、いろんな流派がありますよね、呼び方ひとつでその人の印象がまるでかわる。

結論言うと、友達の前ではふつうに名前で呼んで欲しいし、会社の同僚の前で私の話をするなら、強いて言うなら「奧さん」かなあ・・・。

 

妊娠検査薬、どこ?!!!!

結婚して共働きで年齢も30代後半にさしかかっていて、子どもが欲しいと思っている夫婦なら「妊娠ばっちこい、ウェルカムベイビー!」だと思う普通。

わたしたちも、年齢考えると早い方がいいね、などとゆるく話し合って、なんとなく避妊をやめた。やめたのが10月の頭で、実際、したのは3回くらいだと思う。


それから3週間。

そんなことはすっかり忘れて、そういえば生理こないな、でも1週間遅れるとかよくあるからなーと。

妊娠を疑わなかったわけではないけれど、よく言われてる妊娠の初期症状的なものが一切ないし、元気だし、なんなら今日会社帰りにボクシングジムでイヤってほどサンドバッグ連打して、腕立て、腹筋、スクワットのフルコースで猛烈激しい運動したけれどいつも通りだった。

その帰り道、なんとなく練習のつもりで妊娠検査薬を試してみようと思って、ドラックストアに向かい、

今に至る。


はじめての体験でちょっとドキドキする。

早速ターゲットを探してみる。とりあえず店内を1周してみた。が、妊娠検査薬がありそうなコーナーがみつからない。落ち着いて、2週してもやっぱりみつからない。

そもそもアレって何のカテゴリーなんだろう?生理用品にあたりをつけて近くを探すも、ない。

ちょっと発想を変えてオムツなどベビー用品が正解だろ!と思ってベビーコーナー隅まで探すも、ない。マジでどこにもない。

妊娠検査薬といえばドラックストアじゃないの??。゚(゚´д`゚)゚。


店員に聞くのだけは論外なので、仕方なくGoogle先生に聞いてみたところ、コンドームとか婦人体温計の近くにあるとのこと。

なるほどね。

店内の死角みたいなところにコンドーム置いてあって、そのコーナーにありました。妊娠検査薬。99パーセントの確率とのことで頼もしい。

これから継続的にお世話になりそうな気がして、2個セットを手にとってレジに並ぶ。

結構並んでて、完全に被害妄想だけども、なんとなく人の視線が気になる気がした。更に、男性のレジには行きたくなくて、挙動不審丸出しで、何人か後ろの人に順番を譲ったりして、やっと購入できた時はそれだけでぐったり、達成感だった。

家に帰って実際に検査薬を試すのはもう、形だけの、事務手続きみたいなもの。


パッケージを開けて、説明書通りに先端に尿をかけて待つ。2つの窓のうち手前の1つに線が入れば妊娠陽性。手前に線が入らず、2個目に線が入れば検査終了で妊娠陰性。


待つこと30秒。窓の色が変わってきて尿が染み込んできたのがわかる。1つ目の窓を通過して2つ目に侵食してきた。線が出てきたのは2つ目の窓だった。

やっぱりね、でもちょっと残念かなあ、、



と、胸をなでおろした時、1つ目の窓にうっすらと線が浮かんできているのに気がついた。固唾を飲んで検査薬を握りしめていると、見る間に線が濃くなって、今やハッキリと2つの窓に線が入ってしまった。

本当に驚いたことに、妊娠陽性の判定がでた。この私が、どうやら妊娠したらしいと、なかなか頭でも心でも理解できない。




サイリウムの使い道

うちに帰るとサイリウム(ライブ用のペンライト)が充電されていた。

明日ライブか?平日だぞ?

いやアリエル。私との外食には平気で1時間遅れるが、ももクロのなんとか村みたいなライブ兼ラジオ収録には、会社早退して行ってた奴のことだ。

 

「どしたのこれ?」と聞くと、「なんかあった時のために」とのこと。

ちょっと考えた結果「もしかして懐中電灯的な?」「そう。これ1本で4時間はもつ」

 

なるほど、我が家は何かあった時にはサイリウム振って助けを求めるのか。「何本持ってるの?」と聞くと「んー4本くらい」だそうで、うっすらビックリ。そんなに持ってたのね。

 

例えば、地震や洪水などで部屋から出られなくなってベランダからライトでSOSする。

一生懸命振るライトに、「玉井詩織」とか「百田夏菜子」とか書いてあったりするわけ。目立つように左右で赤、黄色、ピンク、紫色にして、両手に持って振る。そういえばハート型のやつもあった気がする。

 

それ見た人、どうかな?

「あそこに要救助者が、、ん??あ、カレしおりん 推しか!俺はれにちゃん」とか親近感わいたりするのかな。

 

それで、「ちょっと恥ずかしいね」と言ったら「上外せばいいじゃん、そしたらただのライトだよ」と。

 

あ、そっか。